[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
Kさんは昭和38年、義兄の経営するアクセサリー問屋で10年間の修業を終え、30歳で独立。地の利を考えて町工場の多い東京・日暮里に貴金属の金具(空枠)を製造する会社を設立した。それまで空枠といえばほとんど手づくりだったが、Kさんはそれを金型をつかって大量生産・大量販売することを思いついたのである。
これが見事に図に当たった。東京オリンピックを境に貴金属ブームが到来、空枠はとぶように売れ、彼の創業は順風満帆のスタートを切った。
昭和40年代は、Kさんにとって「黄金の10年」で、業績は年々倍々で伸張していった。ちなみに創業時の38年の年商は4800万円にすぎなかったが、54年にはそれが15憶円にまで拡大、すさまじい成長ぶりを示した。
それに伴い、社員数も当初の5人から70人にまで増加、営業所も甲府、伊勢、神戸、大阪と次々に開設し、営業畑一筋の彼は、それらの営業所を飛びまわっては顧客と売り上げの拡大に全力を傾注した。
その一方で、設備投資も怠らなかった。土地・不動産を手当てし、社員寮も建設、48年には電電公社(現NTT)が始めた在庫管理サービス(電話回線をつかった在庫の一括管理システム)を導入、各営業所に端末機を設置してOA化にも取り組んだ。
こうしてKさんは創業以来10年というもの、ひたすら業容の拡大に向かって走りつづけた。その手法は営業中心、売り上げ重視、設備拡充の3点セット、いわば「攻め」の経営であった。その結果、またたく間に「貴金属業界の風雲児」といわれるまでになったが、しかし永遠に攻めつづけることなど誰にもできはしない。このときすでに、前途に暗雲が立ちこめつつあった。